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環境保全闘争の歴史
●今ある新海浜の環境は新海浜住民が一丸となって勝ち得たものです。
風の音、波の音、鳥のさえづり、ときには針が止まった様な静寂、春は一面のさくら色、夏は海辺のリゾート、秋には紅く染まる紅葉と落ち葉、冬は一変する白銀景色、四季の風情のうつりかわりの中に流れる気ままな時間、このすばらしい環境こそが新海浜会員の共有財産である。
しかし、過去にこの環境を破壊する危機が幾度と訪れた、別荘地としての組織は比弱と思われたが、共有する新海浜の環境を守る意識が住民を一丸とさせ、幾多の新海浜の環境破壊行為に対し、力を結集して立ち向かい、勝利するまで戦いぬく意志により、今ある新海浜の環境を勝ち得たのである。
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●アパート村に変貌する環境悪化を阻止。
平成9年頃からアパートが建ち始めた、時間を追うごとに増えていくアパート化現象を調べた結果、新海浜がアパート村に変貌していくことがわかった。別荘地の環境悪化と住民の生活環境が破壊されるという思いから、当時の僅かな住民が決起し猛烈な建設反対運動を起こした。
すでに建設予定の複数のアパートもあった。しかし環境破壊を阻止するという意識は別荘地所有者にも火をつけ、大きな闘争と発展した。
やがて、我々の高い意識が建築主を動かし、アパート村化を断念させた。今も建ってしまったアパートが複数残っている。
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●新海浜湖岸のジェットスキーグループ基地化の環境破壊を阻止。
それは、新海浜湖岸の環境破壊行為から始まった。2000年7月新海浜湖岸緑地帯がショベルカーによって破壊された、ジェットスキーをショベルカーで運ぶ進入路を確保するためだった。この時から新海浜の環境破壊を阻止する長いし烈な戦いが始まった。
静かな新海浜を襲うガソリン臭と騒音、夏に体感する違和感が年々大きくなってきた。破壊行為を目にした我々は生活道路に面する緑地帯一帯がジェットスキーグループの一大拠点になりつつあることを知った。このままでは新海浜環境と生活環境が破壊される危機感から、有志がNPOを組織し新海浜の環境破壊を阻止する運動を開始した。しかしこの戦いは幾多のNPOが挑戦しつつも、あまりにも障害が多く、あきらめられかけていたのである。
NPO有志は高い意識と信念をもとに勝利するまで戦いつづける覚悟をもった。行政、自治会を巻き込んだ問題に発展させた。やがてマスコミも取り上げ、TBSのニュース特集にもとりあげられた。そしてついに、行政を動かし琵琶湖のレジャー利用の適正化懇話会を立ち上げさせた。懇話会公述人には新海浜の4人の住民が立ち、毅然とした論調を展開した。
運動は市民・業界・行政・市町村を巻き込み、新海浜環境を守るだけにとどまらず、琵琶湖環境問題に発展し、やがて全国に有志NPOの戦いが飛び火していった。
そして多くのNPOが運動に協働し行政を動かし、そして約5年あまりの闘争により行政は琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例を平成6年に制定した。
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当時の新聞各社記事より
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戦いは終わった訳ではない、スキがあればいつでも環境破壊行為が見逃される、新海浜では県任命のレジャー監視員2名が常に監視しつづけている。 |
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●新海浜の環境財産意識の共有を。
時代は進み新しい人たちがこの新海浜を永住の地として移住されて来ています。多くの方がこの新海浜の環境が好きで来られていると思います。今の新海浜の環境はみんなの大きな努力のうえに築かれていることを知っていただきたい。新海浜の環境財産意識の共有をしていただきたい。もし、みんなが無関心で過ごせば新海浜の環境はどうなるのでしょうか。10年後20年後の新海浜が変わらぬすばらしい街でありつづけるためにも新海浜の環境財産意識を共有することが肝心だとおもいます。 |
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